インタビュー | Shintaro Sakamoto

インタビュー | Shintaro Sakamoto

Yura Yura Teikoku. Shintaro Sakamoto (left), Ichiro Shibata (center), Chiyo Kamekawa.

90年代以降、バブル経済の終焉によって暴かれた社会の欺瞞に絶望していた多くの若者達にとって、その拒絶的な態度や虚飾を廃した生々しく太いサウンドによって体現される圧倒的な”リアリティ”により、海外におけるSonicYouth や Nirvana と同じく、ゆらゆら帝国は単なるロックバンド以上の存在だった。

アップデート版のサイケデリック・ガレージ・ファズサウンドを基盤としながら、彼らは20年間のキャリアにおいて常にその音楽性を自由自在に変化・進化させていった。彼らは確かにミュージシャンシップとユニークなサウンドを併せ持っていた。

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ゆらゆら帝国は心に刺さるバラードから顔面にパンチを入れるような強烈なロックまで自在に繰り出し、時にツーコードのシンプルなグルーブの上で催眠的なジャムを半永久的に続けたかと思えば、次の瞬間に超攻撃的なコズミック・ブルースでオーディエンスを狂乱の渦に叩き込む。

まるでVelvet Underground のように、彼らは大衆的なロックと実験音楽を同居させ、その上にシニカルなユーモアを散りばめていた。

さらに多様な活動を展開するのではなく、彼らはただ音楽だけにひたすら専念していた。

それぞれのメンバーがゆらゆら帝国というマジックのうちどの役割を担っていたのか、と考えることにあまり意味はないが、しかしギタリストである坂本慎太郎がその中心的な存在だったのは事実だ。

ありふれた言葉の中から他者とは異なった独特の観点やより深い意味を引き出す彼の特異な才能が、日本のリスナーにとってゆらゆら帝国の大きな魅力の一つとなっていたのは間違いないだろう。

日本語のネイティブスピーカーでなくとも、Jonathan Richman (The Modern Lovers)を彷彿とさせる彼の時にオフビートする発声のノリやスモーキーな声そのものから、その片鱗を感じ取ることができる。

また彼は、(彼がギターを手に取るきっかけとなった存在の一人だと言う)ヘンドリックスと同じ流暢さでギブソンSGを操る。

ゆらゆら帝国解散後、2011年にZelone Recordsを設立し、インデペンデントとしてソロ活動を開始、三枚目のソロアルバム「できれば愛を」をリリースした彼は今、当時やこれからについて何を考えているのだろうか。

彼の原風景から今に至るまでの彼の思いを、率直に尋ねてみた。

BNU: 最初にギターを弾き始めたのはいつ頃でしたか?また、初めて買ったのはどのギターで、その理由も教えて頂けますか?

SS: ギターを始めたのは14才の時で日本製の安いアコースティックギターを妹とお金を出し合って買いました。

15才になってAria Pro IIというメーカーのエレキギターを買いました。

友達が持っていたストラトキャスターのコピーモデルが欲しかったのですが、真似するのもどうかと思い、似ているけどちょっと違う形のものを買いました。

あなたは、まるでヘンドリクスのように、ギターがまるで体の一部であるように何の苦もなく自由自在に演奏されますね。とんでもない練習量の上だと容易に想像できるのですが、実際にあなたがギターをマスターし、自分のスタイルを確立したと感じるに至ったのはいつ頃でしたか?また、ギターの練習は複数の人間で行うことが多かったですか?それともずっと部屋で1人で練習していましたか?

部屋で一人で練習していました。自分のスタイルいまだによくわかっていません。

ボーカリストとして、またギタリストとして、初期の頃に大きな影響を受けたレコードは何でしたか?

何も考えていませんでした。

JIMI HENDRIX / HENDRIX IN THE WEST。LED ZEPPELIN の1〜4枚目。

また、「バンドがしたい」と思うきっかけとなった盤は何でしたか?

山口冨士夫 / ひまつぶし。JACKS / ジャックスの世界Fujio Yamaguchi / Himatsubushi

若い頃から今のような方向に歩むことを想像していましたか?

何も考えていませんでした。

あなたを個人的に知らないのでもしかしたら的外れな質問になるかも知れませんがお許しください。あなたはとても孤高の人に思えます。もしそれが合っているならば、学生時代をどのように過ごし、テストやクラスといったものへの順応をどうされてきたのでしょうか。あなたは常にそういった同調圧力に対して小さな反逆者だったのでしょうかまた、あなたの家族はあなたが音楽に興味を持った時、どんな反応をされましたか?学校からドロップアウトしない範囲で音楽を追求することが出来ましたか?そういった学生時代のことについて伺いたいです。また、音楽以外に何かされてましたか?

学生時代は親の仕事の都合で約2年ごとに転校していましたが、子供なのですぐ順応してそれなりに楽しくやっていたと思います。

小さい頃から外でみんなと遊ぶよりは、部屋で一人で工作をしたり、絵を描いている方が好きでしたが、特に孤立していたわけではなく、マンガを描いてクラスの友達を笑わせるような子供でした。

音楽に興味をもってからも、自分は絵の方が得意だと思っていて、将来は美術の分野で何かしたいとぼんやり思っていました。

美術大学に進学し、ゆらゆら帝国を結成してからは完全に興味はバンドに移り、学校は単位が取れるギリギリしか行かなくなりました。

大学を卒業して就職せずにアルバイトをしながらバンドを続けるわけですが、親は特に何も言いませんでした。

内心はかなりがっかりしたと思いますが。

90年代はロックにとって恵まれた時代で、”オルタナティブ”ロックがチャートを賑わし、今となっては信じられない事ですが、Nirvanaが長い間世界最大のバンドでした。世界中のアンダーグラウンドシーンで、バンドもライブもやりやすい時期でした。あなたがゆらゆら帝国を始められた時、そのような独特の”サポート”感が今と比べてあったと感じられますか?また、ライブを開始する前はバンドでのリハは数多くされましたか?

90年代後半は、それ以前ではメジャーレーベルと契約する事など考えられなかったバンドが、続々とメジャーからCDをリリースしました。

そこにはゆらゆら帝国も含まれます。CDが一番売れていた時代であり、レコード会社も体力がありました。

バンドのリハーサルは週2日、一回のリハーサルは2〜3時間。20年間ほぼかかさずこのペースで練習しました。

初期の頃にドラマーは交代してはいますが、ゆらゆら帝国を結成した時のことを教えて下さい。メンバーはお互いのどこに惹かれたのでしょうか。それぞれの聴いている音楽の趣味が合ったのでしょうか、それともそれ以前から友達だったのでしょうか。最初からあなたの頭の中にバンドとしての音のイメージが明確にあってそれを実現出来るプレイヤーを探したのか、それとも仲間同士で入ったスタジオで偶然の結果だったのかが気になります。

ゆらゆら帝国のオリジナルメンバーは僕だけです。

初代ギタリストは中学時代に一番仲が良かった友達でした。

ドラムとベースは大学で一番目立ったルックスの奴と2番目に目立っていた奴です。

音楽の趣味が合ったというよりは、演奏が上手で見た目が異常な感じの人を集めました。

あなたにとってバンドの曲を書くのはストレスフルな作業ですか、それとも楽しいものですか?初期の3~4枚のレコードで、あなたは思い通りに頭の中にある曲を実現出来ましたか?

バンド時代はストレスになる時もありましたが、ソロになってからは楽しいものです。

インディレーベルから出したゆらゆら帝国のファーストとセカンドは全く満足できない内容でした。

初めて納得のいく録音ができたのは、メジャーデビュー盤の”3x3x3”だと思います。

またあなたはライブでは毎回違う演奏をし、曲のフォームの中での即興を楽しんでいるように見えます。録音時にも同じような感じで演奏されるのですか?それとも何テイクも重ねられるのですか?

レコーディングのベーシックトラックはいつもだいたい2〜3回演奏するぐらいです。

「アーユーラ?」、「ミーのカー」、そして「3x3x3」の録音において、石原洋氏の影響があったと思います。音的な面で、あなたが興味を引かれた彼のアイデアはどんなものでしたか?また、あなたがサウンドプロダクションに興味を持ったのはいつ頃でしょうか。それはPeace Studiosでの経験の影響ですか?私は「ミーのカー(Extended Version)」に石原氏の影響を感じるのですが、正しいですか?

Nakamura (left), Sakamoto (center), and Ishihara at Peace Studios in Tokyo. Photo: Yosuke Torii, via Red Bull Music Academy. See story on Peace Studios here

石原氏からは僕の知らない良いレコードをたくさん教えてもらいました。

サウンドプロダクションの面での石原氏の功績も大きいですが、僕個人の音楽の聴き方や考え方の面でもいろいろ影響をうけたと思います。

石原氏からは僕の知らない良いレコードをたくさん教えてもらいました。

1990年代初頭、サイケデリックロックやプログレのレコードを求めて、石原氏の働いていたモダーンミュージックというレコード店に通うようになりました。そのうちゆらゆら帝国が石原氏のバンド、WHITE HEAVENやモダーンミュージック周辺のバンドといっしょにライブをやるようになり、1996年頃WHITE HEAVENのギタリストだった中村宗一郎氏のスタジオでアルバムをレコーディングすることになりました。

その際、中村氏からプロデューサーとして石原氏に参加してもらってはどうか?という提案があったのが始まりです。

ゆらゆら帝国で活動されている時期に影響を受けた日本のバンド、またリスペクトしていたミュージシャンはいますか?またメンバー全員がマスタークラスのミュージシャンですが、ゆらゆら帝国での活動時にもそれぞれが別のソロプロジェクトやバンド活動をされていたのでしょうか。

マリア観音三上寛灰野敬二WHITE HEAVENMASONNAジャッキー&ザ・セドリックス、、、他にもいろいろあったと思います。僕はゆらゆら帝国だけですが、亀川氏は石原氏とTHE STARSというバンド、柴田氏はソロで電子音楽をやっていました。

1997年頃、あなた方は多くの観客を動員し、メジャー級のバンドへと成りつつありました。当時それをどのように感じていましたか?あなたは最高のバンドを持ち、若くルックスも良く、テレビでpopチャートに登場するくらいのスターになるところだったと思われます。インディシーンにおいては上り詰めるところまで上り詰めた時、しかしあなたはそういった考え方を嘲るようにスターになることを拒絶しましたね。きっとバンドでもソロでもやろうと思えば成功できた筈なのに、何故メジャーでの活動よりもインディでいる事を選ばれたのでしょうか。僕のような海外の人間が、日本の音楽業界に対して何か思い違いをしていると思いますか?

質問の年号が違っているかもしれません。

ゆらゆら帝国は1989年から1997年まではインディで活動していましたが、その後メジャーレーベルであるMIDIとSONYで2010年まで活動しました。メジャーでの活動よりインディを選んだのはバンド解散後、ファーストソロアルバムを発表する2011年です。

インディを選んだ理由は、自分がこれからやろうとする音楽を考えたとき、特にメジャーでやる意味が見いだせなかったからです。

当時まだインターネットの影響もそれほど大きくなかったと思いますが、海外のレーベルからオファーを受ける事はありましたか?今まで、海外ツアーを実行して海外のオーディエンスにアピールしようと考えたことはありますか?

ゆらゆら帝国はNYのMesh-keyというレーベルとDFA Recordsからリリースしました。

坂本慎太郎ソロの1stと2ndはNYのOther Music Recording Co.からリリースしています。

ライブはゆらゆら帝国ではアメリカ、オーストラリア、オランダ、ベルギー、イタリア、台湾でやりました。

ゆらゆら帝国はなぜ突然活動を止めてしまったのですか?やるべき事をやり尽くしてしまったと感じたのでしょうか?メンバー間の不和があったのですか?それとも、メンバーそれぞれが別々のことにトライしてみたくなったのでしょうか。再結成を考えることはありますか?

やり尽してしまい、これ以上やってもつまらなくなるだけだと考えて解散しました。

再結成を考えたことはありません。

あなたはソロのレコードで何を表現したいと考えておられますか?それはあなた1人でしか達成できないものでしょうか。今までのソロ作品の中で最も気に入っているのはどれですか?また何故でしょうか。

自分が「こういう音楽があったら聴きたい」「こういうレコードがあったら欲しい」と思えるものを素直に作りたいと思っています。それはⅠ人じゃなくても達成できるかもしれません。今後面白いアイデアが浮かべば共作するかもしれません。

ソロ作品は全て気に入っていますが、しいてあげれば最新作の「できれば愛を」が最も気に入っています。

理由はいまだにこの作品が何なのか自分でもよくわからないからです。

あなたがスタジオでの録音やプロダクションに関わるようになってから、数々のバンドの作品に影響を与えるようになったと感じます。そのうちの1つがBORISですね。あなたはBORISのどこに惹かれましたか?彼らは同じ事を2度としないような挑戦的なバンドですね。あなたはAtsuo氏と仲が良いときいていますが、例えば一緒に音楽を聴いたりするようなことはありますか?また、あなたはBORISのディレクションに何かしらの影響を与えたと感じますか?それと、お気に入りのBORISのレコードを教えて下さい。

出来上がったイメージを自ら壊して行くAtsuo氏の姿勢に共感します。

BORISは最初に会ったときから独自の道を歩んでいるグレイトなバンドです。僕がBORISに影響を与えたと感じたことは一度もありません。

Atsuo氏と一緒に音楽を聴くことはないですね。

お気に入りというのとはちょっと違うかもしれませんが、BORISが2011年に日本のメジャーレーベルと契約したタイミングで出した「New Album」は衝撃的でした。

出来上がったイメージを自ら壊して行くAtsuo氏の姿勢に共感します。

Sonic Youth、SunnO)))、Swansといった海外の素晴らしいバンド達の多くは、遡ると90年代の日本のバンド、特にMasonnaやMerzbow、そして勿論灰野敬二や不失者といったノイズアーティスト達からの影響を公言しています。

先日のインタビューでOren Ambarchi は「日本のノイズミュージックのピュアなところに惹かれる。イメージが先行するのではなく、あくまで音そのものを追及しているから。」と言っていますし、石原氏は「日本のリスナーは海外とは違い、偏見なしに色々な音楽を聴く」と言っていました。

あなたは日本の実験音楽、サイケ、アバンギャルド音楽の独自性について、どのように感じられますか?

なんとなくですが、日本ならではの不完全な物を愛でる美意識と細部の微妙な差異に神経をつかう繊細さはあるような気がします。

近頃、あなたは日常をどのように過ごしていますか?音楽はどの程度生活と結びついているのでしょうか。 また、新しい音楽を聴き続けることはあなたにとって重要ですか?あなたはコレクターですか?

日常はそのとき取り組んでいる作業(作詞、作曲、デザイン、etc)を自宅で淡々とやっています。音楽と生活の結びつきについては考えたことがないですね。なんとなくいつもそこにあるって感じでしょうか。

レコードはいまだに買い続けていますが、その時の興味にまかせて適当に買ってるだけなのでコレクターではありません。

近頃取り組んでいるプロジェクトについて教えて下さい。今見ておくべきバンド達はいますか?

オノシュンスケ氏に僕の曲をカバーしてもらってzelone recordsから7”をリリースしました。

VIDEOTAPEMUSIC氏と共作でem recordsから12″をリリースしました。

現在あなたが最も充足を感じる瞬間を教えて下さい。曲を書いたり演奏している時ですか?それとも他者の表現に力添えしている時ですか?あなたにとって音楽は表現の手法ですか?それよりも何かもっとオリジナルでパワフルで偽りのないものを誰かと創り上げることに興味を持っていますか?

“Love If Possible” is available internationally on iTunes from January 20, physical TBA.

何か面白いアイデアがあって、それに向かって作業に没頭できている時に充足を感じます。

僕にとっての音楽はなんですかね?

言葉で説明できない、自分の好きな音楽の一番ぐっとくるニュアンスがあって、それを感じることができる新しいレコードを探し続けることと、出来れば自分でもそういうレコードを作りたいと思っています。

その追い求めているニュアンスが音楽なんじゃないでしょうか。

Love If Possible is out on Zelone Records and iTunes. CD via Bridge, LP via Jet Set, Cassette via zelone, Hi-Res Audio via e-onkyo.

— Story by Beige Baron and Yoshi